無自覚な私が堕ちるまであとn秒後

「ねぇ、好きって言ったら怒る?」
「……はい?」
グラスを口に運ぼうとした私の動きがピタリと止まって、目の前の人間を凝視した。
明日から休みだ〜!今日は飲むぞ!と同じく明日休みの萩原研二と共に居酒屋に来た私は、美味しいお酒と料理に舌鼓を打ちながら、たわいもない会話を楽しんでいた、はずだ。
「どういうこと……?」
彼は何処か私を不安そうな目で見つめていて、何か返事をしなくちゃと思った私は素直な気持ちを口に出していた。
「そのままの意味だけど」
「そのままの意味……」
と言われても。
「萩原って私のことが好きだからこうやって一緒に居酒屋に来てくれるんじゃないの?」
「え」
「だってわざわざ嫌いな人と一緒に来る理由ってないよね?私も萩原のことが好きだから付き合っているわけだし」
「…………」
「あれ?」
──何かまずいこと言っちゃったかな?
不安になって何故か黙りこくってしまった萩原を見る。
すると彼はグラスをがっしり掴んで、勢いよくガブガブガブガブ……と一気飲みすると、ダンっと大きな音を立てて机へと叩きつけるように置いた。どこか表情も暗く見えるんだけれど……。
「えーっと……萩原さーん……?」
おずおずと声をかけてみると、萩原はあろうことかハァ〜っと大きくため息を吐いた。
……いや、そんな大きくため息吐かなくても良くない?なんかすごい失礼じゃない?
「……あのさ。君、好きって意味わかってるよね?」
「え?もちろん分かってるよ、失礼だなぁ〜。これでも君たちに対しては好きなんだって気持ちを伝えているつもりなのに」
君たち、と言うのは何を隠そう、そこに松田も含まれてくるからである。
今日は萩原だけだけれど、普段は松田もいたりするのだ。一緒に飲みにいくだけじゃなく、そもそも庁内でもよく話すし、たまにコーヒーを差し入れたりするし、困っていたらすぐに助けに入ったりするのも全部萩原と松田のことが好きだからこそだと言うのに、まさか通じていなかっただなんて!
「見返りを求めていたわけではないんだけれど、気づかれていなかったって言うのはちょっとだけショックだなぁ……あ、それとも鬱陶しかった?それならそうとはっきり言ってもらえれば……」
「……じゃあ、ハッキリ言うけどさ」
「およ?」
あ、これはすごい鬱陶しかったって思われていたやつですね!?
二人ともいつも面白がったり笑顔だったりしたのは私に気を遣っていたってこと??
──やばい、ちょっと泣きそうかもしれない。
目の前の景色がぼんやりとしてくる。萩原たちとああやって話したりふざけたりするの好きだったのになぁ……ちょっとやりすぎちゃったのかなぁ。
明日からどうやって関わろう?最低限の会話だけにとどめた方がいいのかな……。
「俺、君のことが好きなんだ。友人としてじゃなくて、女性として」
「…………え?」
あれ?なんだか予想だにしない言葉が聞こえてきたんだけれど……。
「だから俺と付き合って?」
「えっと……もしかして私のこと鬱陶しいとか思ってない?」
てっきり鬱陶しいからやめろとか、嫌いとか言われると思っていたのに。
すると萩原は真剣な表情を崩して呆れたように笑う。
「そんなこと思うわけないでしょ。むしろ可愛いなって思ってたよ
……まぁそれを陣平ちゃんにもやっているのはちょっと嫌だったけれどな」
「よ、良かった〜〜〜!」
安堵の勢いでガブガブとチューハイを煽る。
「本当によかったよ〜!明日から話すのやめた方がいいのかな?とかすっごい考えちゃったし」
「あのさ、初めに俺が言った言葉覚えてないよな?」
「あー……そういえばなんて言葉から始まったんだっけこの会話」
そもそもどうして好きだの嫌いだのって話になってるんだろう?
でもそんなの気にならないくらいには私の心の中はハッピー状態なので、思い出す気にもなれない。
「じゃあさっき俺が言った言葉も聞こえていないってことでいい?」
「んーっと?」
そういえば詳しくは聞けてなかった気がする。えーっとなんて言っていたっけ?
確か……。
『俺、君のことが好きなんだ。友人としてじゃなくて、女性として』
「って……ちょっと待って!?!?!?!?」
さっきの聞き間違いじゃなかったら──いや一瞬本当に何事もなかったかのように流しちゃったけれど!──私のこと好きとかなんとか言ってなかった!?友人じゃない的な意味で!
「やっと気づいてくれた」
目の前にはニヤリと笑う萩原。……なんでそんな顔で笑えるの萩原さん?もしかして結構酔っていたりします?
「それで?返事は?」
「へ、返事ってなんのこと?」
「さっき言っただろ?付き合ってくれって」
「そういえば何か言っていたような……」
鬱陶しいって思われていなくてよかった〜って気持ちで一杯一杯だったから完全にスルーしていた。
──何処かに行くのに付き合ってとかそう言うのじゃないよね……?
流石にそこまで鈍い私じゃない。ってことはすなわち……。
「む、無理無理無理無理!!!」
嘘でしょ!?私が萩原と!?というか萩原が私を!?おかしい!おかしいって!!
「だって萩原だよ!?絶対に私よりもいい人見つかるって!!なんで私と付き合おうとしてるの!絶対もったいないよ!!!」
「え」
「萩原は私じゃダメ!それとも欲求不満で血迷っちゃったとか?」
「いやそれはちが」
「とにかく!萩原が私を好きと言うのは絶対に勘違いだから!!何かの間違いだから!!!」
そうだ、そうに決まってる!
萩原はかっこよくて優しくてモテモテで。時折気が狂ったようなことを言うかもだけれど、とても頼れるいいやつなのだ。
だから、私なんかじゃ釣り合わない。彼に相応しい女性は他にいるんだもの。

──うん、期待なんてしちゃダメ。

そう思い込もうとした時だった。
「だから俺の話を聞けって!!!」
耳にキーンっと萩原の声が響いてきた。
「はぎ……わら?」
彼がここまで声を荒げるのは珍しい。いつもニコニコしていて人当たりのいい彼しか知らなかったから尚更。
萩原は『全く』と言いたげな優しい瞳で私をみると、テーブル越しに身体を伸ばして頭を撫でてくれる。
「俺が君を好きなことは勘違いでも血迷ったわけでもねぇ、正真正銘の本音だよ。なんなら次出庁する時にでも陣平ちゃんにでも聞いてみろって。今まで何度も愚痴ったり話聞いてもらってたりしてたからさ」
「嘘……」
「本当。それに自分のことをそんなに卑下しなさんな。君はとても魅力的だし、俺に相応しい女性も君しかいないんだぜ?」
「…………なんかすっごい口説き文句じゃ……」
「仕方ないっしょ。だって口説いてんだもん」
そこまで言われて、ようやく私の頭が正常に処理をし出した。
──待って、私は今、何を言われているんだろう?
顔がカアアっと熱くなっていく。心拍数もドクンドクンと上がっていって、少しだけ息が苦しくなった。
──お酒の酔いが回ってきたのかなぁ、今日はいつもより回るのが早いなぁ。
もちろんそんなはずもなく、訳も分からなくなった私は「えっと〜」「その〜」と視線を彷徨わせる事しかできない。
「ねぇ」
甘い声が耳元で聞こえた。
いつの間に隣に来ていたんだろう。振り向くと萩原が見たこともない、かっこよくて、でもチョコレートが溶けたような目で私を見ていて。
「君はさ、俺のことどう思ってんの?」
「わ、たしは……」
私の返事を待つまでもないとばかりに彼は手をとってくると、そっと手の甲に唇を落としてくる。
「……っ、そーいうの、本当にずるいと思うよ……っ」
「ずるくていーんだよ、だって」

──俺はそれだけ君が欲しいってことなんだから。

萩原は私にそう告げると、答えなんて分かりきっているといったように優しく抱きしめてくるのだった。


────無自覚な私が堕ちるまであとn秒後。

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