浮気判定されるなんて聞いていないんだけれど!?

「ごめん!私ちょっと外出てくる!!」
 気がついたら私は研二の家から飛び出していた──。

 事の発端は1時間くらい前の話である。
 明日は休みだし、久々にゆっくりできるな〜とウキウキ気分で帰ってきた私を待っていたのは、何故か鬼の形相をした萩原研二で――。
「ただいま〜……ヒェ」
 玄関の扉を開けた途端、どこか冷たい空気と、仁王立ちで待っていた鬼──じゃなくて研二がいて、咄嗟に扉を締めた私は悪くない!もはや正しい対応だと思う!
「…………何事?」
 けれど悲しいかな。私の帰る場所はここにしかない。
 なので必死に研二の怒りの理由を考えるけれど……。
「やばい、何も心当たりがないぞ、これ?」
 思い当たる節はゼロだった。
 参った、こういうときは家に入って開口一番にすいませんでした!って謝るのが手っ取り早く事が終わる方法なのだが、そうは問屋が降ろさないらしい。
「……よし」
 そして、玄関前をうろつく事数分。目撃者がいたらもれなく不審者として見られていただろうし、下手すれば通報されていたかもしれない。警察官が通報されるって嫌な冗談だなぁ〜あははとか思いつつも、ようやく、やっと扉を開けて──。
「た、ただいまぁ〜……」
 鬼とご対面。
「おかえり」
 ちゃんと挨拶はしてくれるんだな研二くん。声はすっごい不機嫌だけれど。
「あ、あの、研二く」
「君さ、今日浮気したでしょ」
「……………はい?」
 え、浮気?浮気ってあの浮気だよね?彼氏を放置して他に好きな男を作ってあれやこれやして最終的にそっちと付き合うことになるんだけど、元彼に社会的制裁を加えられて〜っていうシチュエーション、よく広告で回ってくるから知ってる知ってる……男女逆だった気がするけれど、まぁいいや。
 それにしても私が浮気かぁ〜、研二がいるのに他の男を作るとか、松田くんや降谷くんたちに知られたら死んじゃうなぁ。でも私は研二のことが大好きなわけだし、浮気なんてするわけないから心配しなくたっていいんだけど…………ん?
「待って?なんで私が浮気したことになってるの?」
 おかしいな?記憶にないんですが……?
 なのに研二はムスッとしながらこっちを睨んでくるし……。
「した。今日してた」
 って言ってくるし……。
「えぇ……今日はずっと警視庁に缶詰で書類捌いてたのに……?」
 そもそも浮気する相手もいなければ、時間もなければ、勘違いされることだって何もしてない!なんなら出切っこない!私はオールクリーンだぞ!?
 すると研二はワナワナと震えだして……。
「今日の昼!男と二人で!ご飯行ったでしょ!!」
とうとう大声で叫ばれてしまった。
「んー……?」
 男と二人で、ご飯……今日……。
「ああー!新人くんの話?」
 そうだ、今日新しく部署に来た新人の男の子とご飯食べに行ったんだった!
「美味しいお店紹介するついでに少し緊張していたみたいだったから解れるといいなとか思って連れ出したんだったわ〜!うんうん、覚えてる覚えてる! ……それで、それのどこが浮気なの?」
「え」
「え?」
 なんでそんなありえないみたいな顔してるの研二くん……。だって新人くんぞ?ただの仕事のお付き合いぞ?そこにラブの気配など一ミリたりともないぞ?
「男と二人でご飯は浮気でしょ!」
「いやいやいやいや!?仕事の関係だよ!?ビジネスパートナーってやつよ!?」
「君がパートナーって言葉を俺以外に使うの嫌だ!」
「『ビジネスパートナー』って一つの単語なんだけど!?」
「パートナーってついてるからダメ!」
「え〜……」
 それは理不尽すぎない!?
 けれど研二はありえないとばかりに首を振って
「とにかく!男と二人っきりは浮気だから!」
 頑なに譲らないぞと仁王立ちされてしまった。
「それは流石に無理だよ!?プライベートならともかく、仕事中は無理!」
 大体職場内に男性は普通にいるし、不特定多数の人と関わることになる職業なのだから、男性と関わるなという方が難しいのだ。それが分からないはずもないだろうに。
 というか、そもそもこの男。職場内の女性に笑顔振りまいてない……?なのに私にはそういうことを言うのかと……いや、不公平にもほどがない?
「研二こそ、職場内で女性と話すでしょ?」
「俺はなるべく控えてるから!」
「なるべくでしょ!?だったら私だって……」
「やだ」
「やだじゃなくて!」
 プイッと、どこの子供ですか!?とばかりに拗ねられてしまった……。
 ――うーん、これはどうしたものか。
 そもそも、謂れもない疑いをかけられているわけだからそれを解かないことには始まらないだろう。とはいえここで如何に私が浮気をしないと話しても彼は納得しないだろうし、仕事で出来る限り話をするなは警察官という職業柄難しいから許容できないし。
「ぜ、善処するから……!」
 あんまりすぎる言葉だけれど今の私にはこれしか言えない。
 ――まぁ、これは『やらないけれど』の常套句な気がするんだけれどね!
「それ、絶対に考えないやつでしょ」
「うっ……」
 ごもっともです。流石研二、騙されてくれなかったかぁ~。
「参考程度にお伺いしますが……私にどうしてもらうのが一番理想的だったりします?」
 もはやどうすればいいのか分からなくてそんなことを聞いてみる。もちろん全部が全部飲み込めるものだとは思えないけれど参考にはなるでしょ!……なるよ、ね?
 すると研二は「ん~」と唸って。
「俺以外の男と話してほしくないでしょ?二人きりになるなんて言語道断だし、連絡も取りあってほしくない……あれ、これって君に仕事辞めてもらったほうがはや――」
「待って待って待って待って」
 なんだか恐ろしい言葉を言いかけませんでしたかこの男!?
「嫌だよ!?私は仕事辞めたくないからね!?」
「でも警察って大変な仕事だし、変な虫がつきやすいし……いや、待てよ?もはや手遅れだし、これはもう辞めてもらったほうが安心じゃね?」
「何が安心なのよ……」
 冗談だと思いたいんだけれど、研二の笑顔は「いいこと思いついた」と言ったようなものだから確実に本気だろう。
 私は警察官という職に誇りを持っているから辞めるなんて考えたくない。
「そもそもその安心を作るのが私たちの仕事でしょ?」
「じゃあ君の安心は誰が作るの?」
「ええ~……」
 どうしよう、話が通じない。
 それを言うなら研二にだって通じてしまうし、なにより私たちには護身術があるし、仕事柄危ないことなんて山ほど起こってしまう。それらから一般人を守るのが仕事なわけであって、その面で言ったら私は『一般人』ではないのだ。
「俺は君がすごく心配なんだけれど」
「心配してくれるのは嬉しいけれど……」
「だから仕事を辞めて、安全な場所にいてほしいって思うことはおかしいことじゃないでしょ?」
「…………」
 その気持ちは分からないでもない。研二だって爆発物処理班として日夜危険な場所にいるわけだし、それでどれだけ心配していることかと聞かれたら何とも言えなくなってしまう。
「確かに私だって研二が爆処所属なことで心配していることはたくさんあるけれど……でも……」
 なんで私の仕事にまで口を出されないといけないの?
 なんで私の交流関係にまで制限をかけられないといけないの?
 浮気をするんじゃないかなんて私を信用してくれていないの?
 
 ふつふつと怒りが湧いてくるのを必死に抑えて、どうやって自分の気持ちを伝えるべきか思案する。言葉を選ばなければと思っているのにどうしたっていいものが浮かばない。思い浮かぶものがどれも研二を否定するようなものばかりで、言っていいのか迷ってしまって。
「ごめん!私ちょっと外出てくる!!」
「ちょっ!?」
 居たたまれなくなったことと、混乱していたことと、何より頭を冷やそうと思って。気が付いたら家を飛び出していた。

 ***

 そして冒頭に戻るわけなんだけれども――。
「はぁはぁ……」
 あてもなく走った私は、ようやく足を止めて、とりあえずとばかりに自販機で温かいコーヒーを買うと視界に入った公園のベンチへと腰掛ける。夜風がいい感じに冷たくて心地いいけれど、走って体温が高くなったからそう思っているのかもしれない。
「……なんで私は上手く言葉を伝えられないんだろう」
 言葉というべきか、気持ちというべきか。
 どうしたって私は相手に自分の気持ちをぶつけるのが苦手らしく、いつも怒りを飲み込んでしまうことが多い。今回だってその一種なわけで、でもどうしても我慢できなくって気持ちが渋滞した結果逃げ出してしまった。
「これじゃ面倒くさい女じゃない……」
 我ながらこれは酷いなって思うわけなのだけれど、あのまま怒りが爆発して思ってもみないことを言って研二を傷つけるようなことになるはよっぽどマシだと思おう……うん。
「せっかく警察になったのになぁ」
 今後妊娠出産とかの要因で一時的に仕事を離れるようになるかもしれないのは全然いい。けれど自分がなりたくてなった職業を、結婚――この場合だと婚約?になるのだろうか――するからとやめなければいけないのはどうしても納得がいかなかった。
 しかもその理由が『何かあるかもしれないと心配だから』なのだから尚更釈然としない。
「心配してくれるのは嬉しいんだけれど、心配し過ぎというか……ここまで来ると信用されていない気がするよね」
 誰に言うわけでもなく、言葉を紡ぐ。それが嫌なわけではなくて、ただ私のことを信じてほしいだけで。
――信じてくれていなかったんだと、どこか悲しかった。
『怒りが湧くということは、自分の譲れないことがそこにあるから』
 昔、誰かが言っていた言葉を思い出す。きっとそうなんだろうなって今ようやくその言葉を理解した気がした。
――信じてほしいって伝えよう、それとやっぱり仕事は続けたいって……。
 でもこれで素直に頷いてくれるかなぁ。どうにか納得してもらえるような言葉を――。

「いた……っ!!」
「げ」
 その時、タイミングがいいのか悪いのか研二の声が聞こえて、反射的にビクリと体を震わせる。おずおずと彼の様子を窺うと肩を上下に震わせて息を整えているところだった。そんな彼は私の目の前に立つと。
「なんで突然飛び出していったの!?」
「……っ」
 聞いたこともないくらいの声量で一言叱責されてしまった。
 思わずビクリと体が震える。一瞬何も考えられなくなって、ギュッと自分の手を握った。
「ごめんなさい……」
 そりゃ怒られるよね……と思い、一拍遅れて謝罪の言葉を返すと研二は一瞬驚いたように目を見開くと、すぐに腕を伸ばしてきてギュッと力強く抱きしめられた。
「はぁー……ほんっと心配した……。近くを探してもどこにもいねぇし、何かあったんじゃないかって焦ったんだぜ?」
 いつもより言葉が荒れていることも、息遣いが荒れていることも、きっと私を必死になって探してくれたからなんだと思うと心が痛んでしまって。なんだか泣きたくなった。
「……ごめん」
 もう一度謝ると、研二がブンブンと首を振って。
「俺の方こそごめん。君のことを信用していないわけじゃないんだけれど、最近よく君のことを聞くようになって……」
「へ?」
 聞くようになった?誰から?
 そういえば、どうして急に浮気だのなんだの言いだしたんだろう?今までだって先輩や後輩とは性別問わずご飯を一緒したことだってあるし、飲み会にだって割と積極的に参加してきた身だ。研二にだってその都度報告していたし、それに関して怒られたこともなければ止められたこともない。――まぁ「悪い虫がつかないように」とかなんとか言って色々と仕込まれはしたけれど、嫌な顔一つしなかったような人なのだ。
 そんな男が今日になって怒り出しもすれば疑問にも思うし、それを避けるのはなかなかに不可抗力なのでは……?
「警視庁の中でさ、君の話がよく出るんだよね。機動隊の連中にも噂になってるくらいなんだよ」
「……何故なにゆえ?」
 さっぱり分からない。
 えっ最近何かしたっけ?いつもの如く職務を全うしていただけなんだけれどなぁ?
 すると研二は「やっぱりそういう反応するよねぇ」と一つ息を吐く。どこかやれやれといった、愛おしげな響きではあったけれど、それはそれとして話が全く見えなかった。
「君は真面目で努力家で頑張り屋さんなのに、後輩にも偉そうな態度を取らないばかりか親切に色々と教えているところがいいんだって庁内で評判なんだよね〜。それが色んな部署に広まってるくらいモテモテになってるんだよ、君」
「え」
 いやいやいやいや、初耳なんですけれど!?どこから広まったその話!!上司か!?後輩くんか!?
「わ、私そんなすごい人じゃないよ……?」
 あれもこれも当たり前のことをしているだけ!だって努力するのは当然だし、先輩に偉ぶられたら私嫌だし、後輩に色々と教えないと困るのはみんなだし!……え、当たり前だよね!?
 それでもなお、研二は呆れたような笑みを浮かべて。
「それが出来る人間って全員じゃないから憧れるんだよね。現に俺も君のそういうところが大好きだし♡」
「うっ……」
 この人、隙あらばすぐこういうこと言ってくるんですけれど!?照れるからやめてって言ったこともあったが、「照れた顔が見たいからやめな~い」とか何とか言われてからはなるべく言われる隙を与えないように頑張っていたんだけれどなぁ。
「そういう話ばかり聞いているとさ、やっぱり彼氏としては不安になっちゃうわけよ」
 ――気持ちはすごく分かる。なんせ萩原研二という男だってそういった節があって、職場の女性陣がキャーキャー言っているのを聞いてしまうと私だって良い気持ちにはなれない。もちろん浮気なんて疑わないし、研二の事を信用しているのは事実なのだけれど、それはそれとして他の女性に獲られてしまったらどうしようとか考えたことは一度や二度ではなかった。
 けれど、けれどもね……。
「でも急に怒られても……せめて前もって相談して貰わなくちゃ」
 ほんの数日前までは当たり前のように許してもらっていたことだったから、私からしたら今日の話は寝耳に水だったし、研二がそのことに関しての基準を変更しただなんて報告も連絡も相談もなかった訳で……。
 すると研二は困ったように頬を掻いて、ごめんと一言呟いた。
「これでも相談しようと思ってたんだけどさ、なかなか言い出しにくかったんだよね。こんなことで嫉妬しているなんてみっともないっしょ?」
「そ、そんなことないと思うけれど……」
 むしろ嫉妬していてくれたことが嬉しいなんて言いにくいんだけれど!?
 それこそ研二はモテる。とにかくモテる。それはそれは大人気で、未だに私のことを目の敵にしている人だってそりゃもう沢山いるのを私は知っていた。その人たちを研二や松田くんが蹴散らしてくれていたから虐めとかに発展していないだけなんだと思っているくらいで。
 だからこそ、こんなこと思うのもあれだけれど、そういう良い話が広がっているということはそれ即ち……。
「むしろ周りから研二の横に立っていて恥ずかしくない女性だと思われているなら私は嬉しいんだけれどなぁ」
 もちろんそれを狙っていたわけではないし、結果的にといった話なのだけれど。
「君が恥ずかしい女性ってそんなことあるわけないでしょ」
「でも周りから認めてもらえたのかなぁ~って思って。流石に楽天家かな?」
 すると研二はハァっと溜息をついて、真剣な表情を浮かべながらじっとわたしを見つめてくる。
 あれ?何か変なこと言ったかな?それともやっぱり楽観的すぎた?
「あのさ……そもそも誰に認めてもらえなくても俺が君がいいって言ってるんだけどなぁ」
「え」
「君が頑張って俺の隣にふさわしい人になるって思ってくれているのは嬉しいんだけど、俺はそのままの君が大好きだからそのままでいてくれればそれで十分なんだぜ?」
「…………そう?」
 なんだかとっても恥ずかしいことを告げられた気がするんだけれど、それ以上にすごく嬉しくて、思わず固まってしまう。
「そうなの。だからさっきみたいに文句が上手に言えないからって家を飛び出したりしないで?喧嘩になっちまうかもしれないけれど、ちゃんと君の言葉は聞くから。俺の前では感情をさらけ出してくんない?」
「あ~……」
 バレてる……。しっかりバレてるよ~……。
 流石は洞察力の鋭い萩原研二。どうやら私の考えはお見通しだったらしい。
「ってまぁ俺も冷静じゃなかったから気を付けねぇとな……。でもこの時間に家を出ていかれて本当に焦ったからこういうのはもうやめて」
「う、うん……」
 すごく痛々しい声で言われてしまっては頷く他ない。
 けれど研二は優し気に微笑んで。
「だからさ、とりあえず一旦俺たちの家に帰って話の続きをしよう」
 スっと手を差し出してきた。
 当たり前のように『俺たちの家』って言ってもらえたのがどこか嬉しかった。
「うん、帰ろ」
 その手を取ると研二は「ん~」っと何故か悶え出して。
「やっぱり一緒の家に帰るっていいなぁ……これは計画を早めるしかないか……?」
「計画?」
 なんだかまた穏やかじゃない言葉を聞いた気がする。計画って言葉の響きなのか分からないけれど悪だくみなのかなって思っちゃうのはなんでだろう?
「ん~、君と俺がずっと一緒にいられるような計画かな」
「……私、仕事はやめないよ」
 にこやかに話されているところ申し訳ないけれど、さっきも言えなかった私の本音を告げてみる。すると研二はカラっと笑って。
「うん、やめなくていいよ。一生懸命警察官として働いている君もかっこよくて大好きだから」
「~~~~っ!またそういうこと言う!!」
「だって本当のことだもーん」
 そう言う研二をジトっと睨むように見ると、彼は少し真剣な顔を浮かべて。
「まぁでもこれからもこうやって二人の意見をすり合わせて、少しでもお互いにとっていい環境を作っていこうぜ」
「そうだね。今日の件に関してはかなり私譲る気はないから覚悟していて?」
「はいよ」
 外に出てきた時とは正反対の気持ちで、クスクス笑いながら研二と一緒に家へと帰っていくのだった。

 *** 

 最終的に。
 男性のいる席に参加しなくちゃいけなくなったりしたときは事前に連絡してねっていうことで話は収まった――のだけれど。

「君、明日休みだったよね?」
「え、うん。そうだけれど……」
「俺も明日休みなんだよね~」
「うん、知ってるけれど……」
 ――なんだろう、すっごい嫌な予感が……。
「じゃ、明日のことは気にしないで大丈夫ってことで」
「ひ、ヒエエエエエエ……!!」


 その後「嫉妬心は全然収まっていなかったんだよね」なんて言われたときには体が動かなかったとか気絶していたように眠っていたとかはまた別のお話。

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