「うわぁ〜、すごいですねぇ」
「そうだな」
とある夏の日、私は浴衣を着て夏祭りに来ていた。
隣で茶色の浴衣を着た、私の上司の降谷零さんが少し険しい顔で頷く。
「……降谷さん、そんな険しい顔しなくても」
「そんな顔していたか?」
「はい」
とはいえ、仕方ないことかもしれない。
今日、夏祭りに来ているのは何を隠そう、潜入捜査のためなのだから。
事の始まりは先週末だった。
「潜入捜査、ですか?」
「ああ、僕と一緒に夏祭りに行ってほしい」
久々に当庁してきた降谷さんに呼ばれると何の脈略もなくそう告げられた。
(行ってほしいって言ってはいるけれど、拒否権は存在していないよね……?)
いつものことだ。この上司は私に何かを告げるたびにNOという選択肢を与えてくれない。聞き方こそ選ばせてくれているように感じさせてはくれるものの、断りの言葉を少しでも発しようものなら睨まれるのだ。理不尽。
「はぁ……何故私なんです?」
だからって大人しく頷くのも何だか癪なので少し顔を顰めながら疑問を投げかける。
別に私じゃなくてもいいはずだ。安室透として他の女性を誘うことくらいこの上司なら朝飯前だろうし、性別に拘らないのなら諸伏さんや風見さんで十分である。なのに私をわざわざ指名する理由があるのだろうか。
すると降谷さんは『なに言ってんだ?』と言わんばかりの怪訝な顔を浮かべた。
「まず自然に見せるためには男女のペアが一番適切だろう?
公安に所属している女性は君くらいのものだ。万が一の時の動きにも信頼がおけるし、何より一般人はなるべく巻き込みたくない」
「…………さいですか」
思わず今までの行動を思い起こして頭を抱えた。どれだけ私や風見さんが後処理に追われたと思っているのだろうかこの馬鹿上司は。
信頼がおけると言っていただけたのは素直に嬉しいけれど、一般人を巻き込みたくないなんてよくもまぁ言えたものである。
(うん。これは大人しく私がついて行った方が後々面倒なことにならなくて済むのでは……?)
悲しいかな、日頃の行いというものはこういうところで現れるものだ。
「分かりました。来週のお祭り、降谷さんと一緒に参加します」
「ああ、よろしく頼むよ」
そう言って、彼は私に資料一式を渡すと、別の場所へと去っていくのだった——
***
あの後渡された資料に目を通して分かったことは、今東都で横行している薬の密売が今日ここで行われるとのことだった。
その人物の特徴を頭に叩き込みつつ、夏祭りなんだからという理由で上司から用意された浴衣を着て、今ここに立っているわけだ。
……ところで、浴衣って上司が用意するものなの?一応私だって一着くらい浴衣を持っていたのだけれど、有無を言わさず「いいからこれを着ろ」なんて言われたのだが。
渡された浴衣はアイスブルーが基調のもので、なんとなく隣の男性の瞳の色を連想させた。
「ほら」
「へ?」
手を差し出された意味が分からず首を傾げる。すると彼は不満気に目を細めると
「今は恋人なのだから手を繋いでいないと不自然だろ」
なんてまるで拗ねたような口調で言ってきた。
「まぁ、それもそうですね……?」
そっか、恋人設定だったな。と今更ながらに実感する。どちらかというと久々の夏祭りに浮き足立っていたので、『上司とデート(仮)』なんて微塵たりとも考えなかった。
「じゃあ失礼します」
そっと降谷さんの手に自分の手を合わせる。キュッと握られた途端、ゴツゴツとした感触と自分よりも大きなそれに思わず目を見開いた。
「どうした?」
「いえ。こうしてみると降谷さんもれっきとした男性なんだなぁって思いまして」
「ほう?つまり君は今まで僕のことを男性として見ていなかったと」
え、なんでそこで不機嫌そうな声出すんですか……?
咄嗟にそう思ったものの、もちろんそんなこと本人には言えるはずもなく、聞かれた問いへの答えを考える。
「ん〜、そもそもそこまで性別を意識することがないじゃないですか。公安って皆さん男性ですし、性別の差で区別することはあっても女性だからって仕事量が減るわけでもないですし」
性別の差で区別というのも今回みたいに恋人のふりをした方がいい場合だったり、普段だと生理などで体調を急に崩すことだったりといった部分だ。前者はともかく後者に関しては他の人に申し訳がないのだが、一度無理をして貧血で倒れてしまってからはお言葉に甘えさせてもらうことにしていた。
それに男性だといちいち意識するのもそれはそれで神経がすり減ってしまう。なんとなく女性のあり方としては少し間違っている気がしないでもないが、環境のせいだ。仕方ない。
「そうか」
そう返事をした降谷さんはさっきの不機嫌さとは違い、少し切な気に見えた。
***
「うーん、いませんね」
「……そうだな」
屋台の並ぶ道を一通り回ってみたが、密売人らしき人は見当たらない。
人が多いし、見落としたのだろうか?
そう思い、もう一度回りましょうかと提案しようとしたときだった。
ぐぅぅぅ
「………………」
「………………ぷっ」
私のお腹が鳴った。しかもこの上司笑いやがった。
「君、お腹すいてたのか」
「ちょっ笑わないでくださいよ!!浴衣の帯キツイだろうなぁと思ってご飯減らしただけなんですから!!」
これでよく公安が務まるな、なんて言われるかと思いきや、まさか笑われるとは。しかも満面の笑みで。部下のお腹の音ってそんなに面白いんですかね?
「誰も何も言ってないだろう。
そういえばさっきから屋台の方をチラチラと見ていたな」
「うっ……」
図星である。美味しそうだなぁ〜とか面白そうだなぁ〜って思いながら屋台を思わず見てしまっていたのは自覚していた。
「で、でも、見てただけですから!見てるだけでいいですし!」
「……ほぅ」
「あっ疑ってますね!?でもこればかりは本当ですから!
小さい頃からお祭りに来ても親から何にも買ってもらえず、ねだったところで『高すぎる。これならスーパーで同じの買えばいい』って言われ続けた女なんですよ!鍛え方が違いますっ」
キリッと表情を決めてみる。こういうところでの我慢は慣れっこなのだ。なんなら機会に恵まれず家族以外とこのような祭りに来たことがないので筋金入りでもある。故にこの歳になって駄々をこねるとかそんなことはしない。
ここまで裏付けがあれば信用に値するだろう。きっと降谷さんも満足げな表情をするに違いない!
「…………はぁ。お前な」
なのに降谷さんは泣きそうな顔を浮かべた。何故?
「えっと、降谷さん……?」
おずおずと声をかけてみる。すると彼はフルフルと首を振って
「アルコール類は禁止。遊び系の屋台も今回は勘弁してくれ。
ただ食べ物類ならば。すぐ動けるのなら買ってやる」
「…………え」
今、なんて?
買ってやる?買って、やる?何を?誰が?誰に?
「だから、綿あめとかたこ焼きとか。僕が好きなの買ってやるから」
「いやいやいや!?なんでですか!?というかいいですよそんなの!家帰ってスーパーとかで買えばいいですか、ら……」
私が言い終わらないうちに、ぽんっと頭に手を置かれる。反射的に彼の顔を見ると優しげな表情でふっと微笑んでいた。
「遠慮しなくていい。大体君も分かっているんだろう?屋台のものはこういう雰囲気で食べることに意義があるものなんだと。それを無理やり納得しなくたっていいんだ」
「…………」
確かに、幼い頃の私はそれを理解していながらもそれを味わうことの出来ないショックから無理矢理納得して諦めていた節があった。そうしないと心に傷を負うから……もう傷ついていたのかもしれないけれど。
でももう私も大人だ。仕事中ではあるけれど上司がこう言うのならば。
それに、
「それに今は君の彼氏だからな。少しくらい彼女に奢ってもおかしくはないだろ?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
こうやって温かい口調で言われてしまったら頷くしかなかった─────
◇◇◇
そうして屋台巡り2周目。
「なんだか、選んでいいと言われたら目移りしちゃいますね」
綿あめ、リンゴ飴、牛串、じゃがバター……
いくつもの屋台が並んでいる中、私は何にするか決めかねていた。もちろん密売人を探しながら。
「そんな目を輝かせている君を見るのもなかなか珍しいな」
「そりゃあいつもは書類に殺されているようなものですからね……」
主に誰かさんの始末書とか請求書に。とは言わない。余計なことを言って何も買ってもらえなくなるのは今の私には少し堪える。
「それにしても本当に君は何も意識しないんだな」
「へ?意識ですか?今が任務中だってことは常に意識しているつもりですが……」
「……いや、それでいい」
「?」
なんでそんなガッカリしたような言い方をするのだろう?もしかして私が何か勘違いをしていたりするのだろうか?でも勘違いする場所なんてどこにもない気がする。
「あっ」
そんなことを考えていたら目の前にはたこ焼きの屋台が。
そうだ、あれにしよう。たこ焼き買ってもらおう!
頭にピーンと来た私はたこ焼きをねだる為に上司を見ようとして……。
「きゃあああああああああ!!!」
悲鳴が聞こえた方を瞬時に見る。
すると、少し離れた場所で密売人らしき男がナイフを持って暴れているではないか!
「ちょっとなんで暴れてるんですか!!」
「僕に言われてもな……っ」
そう言いながら私達は職務を全うするために走り出した。
────グッバイ、私のたこ焼き。
ようやくお祭りの中、屋台の食べ物を味わえそうだったのになぁ。
この時、私の目から涙が出そうになったのはきっと気のせいじゃなかったと思う。
◇◇◇
「ふぅ」
あれから数日後。
結局あの後、お祭りは中止になり、取り押さえた男をしょっぴいた私たちは当たり前のようにいつもの生活へと戻っている。
目の前には相変わらず大量の書類が山を作っているし、もはや夏祭りのことも頭から抜け落ちていて、余韻も何もなかった。
そういえば、夏祭りの日、事後処理を何とか終わらせて帰宅しようとしたときに風見さんから呼び止められて
「これからは屋台などの食べ物を欲しいと思ったら私や降谷さんに言うんだぞ?」
なんて物凄く優しい目で言われたんだけれど、あれは一体何だったんだろうか。
「おい」
「はい?」
そんなことを考えていると、降谷さんから声をかけられた。
ああ、また書類が増えるのか。今度は何をしたんだろう、このゴリラは。
そう考えると返事もしたくなかったが、無視はよくない、無視は。それでも少しの抵抗とばかりに渋い顔を浮かべて振り返ると、意外や意外。彼は書類を持っていなかった。
「これから用事はあるか?」
「えっ書類を片す以外、特にないですけど」
逆に予定を入れられるだけの休みや余裕などがあるとお思いですか?この山積みの書類を見て?
そう心の中で悪態をつく。本当、仕事量を誰か減らしてくれないかなぁ……。
するとそれは良かったとばかりに上司はふと顔を歪めると
「なら僕の家まで来てくれ」
よく分からない、衝撃なことを告げてくるのだった。
◇◇◇
なんで私は上司の家に呼ばれたのだろう。しかも未婚の男性の家に。
そんな疑問を抱いても上司の命令なのだから仕方ない。変なことはしないだろうという信頼があるし、何かあれば諸伏さんや風見さんに即連絡しよう。
なんて考えながら、降谷さんの車の助手席で大人しく揺られる私。
この車もよくボロボロになっているしもう少し大事に扱ってあげてほしいなぁ。とふと思うも恐らく難しいだろう。一体どこからそんな運転技術を学んでしまったのだろうかこの上司は。
「君の家はそんなに貧乏じゃなかったよな?」
「え、あ、はい。普通の家庭だったと思いますが……」
急に話題を振られてビックリする。貧乏の基準が何処かによるが、食べるのに苦労したり、日頃生きていくのに苦労したりなどはなかった為、普通だと判断し、素直に返事をする。
「それなのに祭りで何も買ってもらえなかったのか?」
「ああ……その話でしたか」
まさかあのときの話を思い返されるとは思わなかった。
「ほら、両親がケチだったってやつです。他の部分を考えずにひたすら安いものをという考えの人たちなので、そういうところで売っていたやつは基本的に買ってもらえませんでした」
お祭りだけではなくて旅行先とかもこんな感じだったから正直楽しさは半減だった。何もかもお金で測るその考えはどうしても好きになれず、家元を離れてからは自分のいいと思ったものをあまり金額を気にしないように買うようにしているのだが、今思うと家庭環境で圧迫されていた反動なのかもしれない。
「だから君は質を重んじて買い物をするようになったんだな」
「かもしれません。結局気に入ったものが一番じゃないですか。そっちのほうが大事に使いますし」
「それもそうだな」
ふっと笑う降谷さん。その横顔を見ると今更ながらにイケメンと呼ばれる所以が分かる気がした。
金髪にミルクティー色の肌、アイスブルーの瞳。それらがバランスよく配置されている顔はどんな表情をしていても様になる。しかもこれだけ容姿がいいのに仕事も出来ると来た。後始末を任せられる私からしたら思うところはいっぱいあるが、それらを差し引いても出来た人という評価は覆らないだろう。
「ついたぞ」
そんなことを考えていると、いつの間にか降谷さんの家に着いていたらしい。流れるように運転席から降りた彼は私の乗っていた助手席の扉をまるでエスコートするかのように開けていた。
「……え」
「どうした、降りないのか?」
「いえ、降りますけど……。あの、降谷さんもしかしてお疲れですか?私これでも貴方の部下なのでこんなことしなくても大丈夫ですよ?」
思わず口から疑問がそのまま出てしまったのは許してほしい。この上司は今潜入捜査中でもなければ何かの任務中でもないのだ。つまりこのようなことをいちいち私にする必要はないのである。なのにこのような行動をしたということは、きっとこの男は疲れているのだろう。もしかしたら徹夜続きなのかもしれない。
「…………」
あれ?なんで顔を顰めているんだろう。
「あの、降谷さ……んえっ!?」
すると降谷さんはあろうことか私の背中と足元に腕を入れてきて、そのまま抱き上げた!
「な、なななななな!?」
『何してるんですか降谷さん』と言いたかったのに、この状況にテンパりすぎて壊れたラジオのような声しか出ない。
「おい、暴れるな。落ちるだろ」
「そんなこと言われましても!?」
そして何故この上司はこんなにも普通なのだろうか。
結局そのまま私は何一つ抗議を聞いてもらえることもなく、そのまま彼の家へと連行されるのだった。
◇◇◇
……えーっと、これはどういう状況でしょうか?
私は数日前に身に纏っていた浴衣を何故かもう一度着て、降谷さんのリビングにあるソファーに座っていた。
チラリと彼の方を向けば、同じくあの時着ていた浴衣を纏った降谷さんがキッチンで慌ただしく何かをしている。キッチンに立っていることだし料理しているのだろうとは思うのだけれど、現状が全く飲み込めていない私にとって何もかもが謎だ。
私に出来ることは言われた通り、大人しくここで座っているのみである。
「お待たせ」
どれくらい時間が経ったのだろうか。そう言われて彼を見ると、たくさんの料理を持って机に並べていた。
綿あめにチョコバナナ、牛串、じゃがバター、焼きそば……そしてたこ焼き。
「降谷さん、これって……」
そう、あの時お祭りの屋台で見かけたものばかりだ。
ハッとして降谷さんを見ると、彼はふっと微笑んで
「前、あんなこと言ったのに結局食べさせてやることが出来なかったからな」
そんなことを言った。
「だからって浴衣まで用意して、全部作るなんて……どうして」
何でそこまでしてくれるのだろうか。降谷さんの責任感故かもしれないけれどそこまでしてもらうようなことを私はした覚えがない。
「どうして、か……」
降谷さんが一言呟いて私の隣へと腰掛ける。そして私の顔を覗き込むと
「どうしてだと思う?」
真剣な顔でそう問いかけてきた。
「え……と」
近い。さっき抱きかかえられた時も思ったが今日はやけに上司からの距離感がおかしいように思える。
アイスブルーの瞳から出ている視線がどこか熱を帯びているのは気のせいだろうか。私の心臓がさっきから煩く鳴っているのは勘違いだろうか。まるで脳が痺れているかのように思考が回らない。
「どうして、ですか?」
掠れた声でギブアップを宣言すると降谷さんは目を細めて
「君は本当に鈍いんだな」
次いで、どこか愛おしそうに
「そんなの好きな人の笑顔が見たいからに決まっているだろう?」
最大級の甘い言葉を口にした。
「好きな、人?」
いつもの私だったら『またまた〜』なんて冗談で笑ったかもしれない。でもこの雰囲気でそれは許されなかった。だってこんなの冗談な訳ない。
「ああ。君の笑顔が見たかったから少しでも夏祭りの気分を味わってほしいと思ったんだ」
「う、そ……」
信じられない。降谷さんの言葉や雰囲気的に嘘じゃないと確信はしているけれど、そうじゃなくて、あの降谷零という男が自分のことを好いているという事実にびっくりしていた。
「嘘な訳あるか」
ですよね、知ってます。
────どうしよう、素直に嬉しい。
ここまでしてもらって、しかも理由が笑顔を見たかったからなんて言われて嬉しくないはずがない。
ただ、思いがけない爆弾が降ってきてびっくりしただけで。
「ちなみに僕の家だからビールも用意してある」
「えっ本当ですか」
これはとんだサプライズだ。あの場ではどうしたって飲めなかったビールがあるなんて!
「あ、でもアルコール摂取したら帰れませんよね……」
流石に私だけビールをご馳走になるわけにはいかない。タクシーを呼べばいいかなとは思うけれど、私自身アルコールに弱いため、そもそもここは飲むのを控えるべきだろう。
「何を言ってるんだ?」
「え」
しかし降谷さんはキョトンと首を傾げる。私は何かおかしいことを言っただろうか?
すると彼は私の背後にするりと腕を回して緩く抱き締める。
「降谷、さん?」
ああ、折角心臓の音が落ち着いてきた頃合いなのに……。
そんな私の心の声など知らないとばかりに降谷さんは耳元に唇を寄せて、こういうのだった────。
「君を帰す気など初めからないんだが……?」
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