やばい。フラフラする……。
休日の夜22時、最寄りの駅から5分ほど歩いたところで私は後悔していた。
徒歩10分の距離だし、駅前に停まっていたタクシー使うの勿体無いよなぁ〜って考えた馬鹿(私)を誰かぶん殴ってほしい。あっ待って、本当に殴られると今は困るのでやっぱり勘弁してください!
……とまぁ、それほどまでに私の身体は限界を迎えていたのだ。
今日は朝から猛暑レベルといわれる程の暑さに見舞われていた。まだ5月末なのに、夏どころか梅雨明けすら前なのに最高気温が30℃超えるってどういうことなの、おかしくない? と思いながらも、私は友人と1日中出かける予定だったので、持ち物に水筒と日傘をちゃんと追加し、家を出たのだ。
ランチをして、映画を見て、喫茶店で感想を言い合って、ショッピングをして、ディナーをファミレスで過ごして。
合間に飲み物を切らしてしまった為自動販売機でアクエ○アスを買い、しっかりと水分補給もしていた。今思えば自動販売機で冷やされたペットボトルってこんなにキンキンに冷えていたっけ? と首を傾げた時点で少しおかしいと気づくべきだったかもしれない。
久々に楽しい休日を送った後は友人と別れ電車に乗り、運よく座席に座れたのだが、ここで突如怠惰感にドッと襲われた。この時になってようやく自分の体調が悪いことに気づいたのだ。
幸いなことに最寄りの駅までは乗り換えもなく、このまま直通である。大人しく音楽を聴きながら座っていれば問題はないだろう。今の体調的にスマホの画面を見るだけの余裕はないので、それをしまった鞄をギュッと抱えるように持って、目を瞑った。
そこからは意識がない。それほどまでに睡眠を欲していたのかと驚きつつ、最寄り駅で降り、並んで停まっているタクシーを横目に歩き出し……そして今に至る。
足元が覚束ない。自分で分かるくらいフラフラしていて、きっと他の人から見たら危なっかしいことこの上ないだろう。更に視界も時々ホワイトアウトしそうなくらいボンヤリとしていて、記憶にあるマップを頼りに歩いているも同然だった。意識がハッキリしているのが唯一の救いだが、これもいつ朧げになるか怪しい。住宅街で、車の通りが少ない道なのも結果的には良かったのかもしれない。
「あと半分くらい……」
家に着けば少なくとも安全は保証される。だからとにかく足を動かさなければ。
そう気合を入れてフラつく足を前に出すと、背後から車のヘッドライトが近づいてきて、私はなんとか道の脇に寄る。普通だと造作もないことなのに、今は一挙一動が大変に思えた。
するとその車は私の目の前で停車する。
「……っ!?」
まさかと思い、一瞬のうちに拳を握りしめた。今の私の力じゃ防衛にはならないかもしれないけれど、もしかしたら隙を作ることが出来るかもしれない。それで無理だったらどうしようと考えたが、全力疾走出来るだけの体力があるはずもないのでその時はその時かなぁなんて頭の片隅で早くも諦めモードが実行されていた。
「あのな、彼氏の車忘れてんじゃねえよ」
「へ……?」
しかし、窓が開きそこから顔を覗かせたのは、彼氏である松田陣平その人だったのだ。
確かによく見れば陣平が乗っている車種だし、フロントについているナンバープレートを見てみればそこに記されているナンバーも陣平のそれと一致する。
いつもならすぐ気がつくのに、体調が悪いとここまで駄目になるものなのか……。改めて自分の今の行動を反省する。今度からはなるべくタクシーを使おう。お金をケチった結果、事故に巻き込まれたり道端で倒れたりするなんてとんだ間抜けだ。
それにしてもどうして陣平はここにいるのだろう? 今日家に来るって言われていたっけ?
「仕事落ち着いたからお前の家に行くって連絡しただろうが」
「あーごめん、スマホ見てなかった」
呆れたようにいう彼氏をぼーっと見つめながらそう返す。サイレントマナーモードだったので連絡があったことすら認知してなかった。
すると陣平は顔を顰めて
「お前、体調悪いだろ」
何故か不機嫌そうに「いいから乗れ」と乗車を促すのだった。
目の前でオートロックや自室の鍵が開けられるのをここ私の家のはずなのに手慣れてるなぁなんて割とどうでもいいことを考えながら見つめる。
それもそのはずで、あの後車に乗ってからここまで、陣平から話しかけられても「うん」とか「ああ」とか返事にならない返事をするくらいには思考能力が鈍っていたし、彼からの言葉も聞こえているはずなのに意味を理解する前に流れていってしまった。
だからだろう、玄関に入った途端
「あっヤバ……」
「おいっ!?」
一気に力が抜けて陣平にもたれかかるように座り込んでしまったのは。
♢♢♢
「熱中症だな」
「ですね……」
「ですねってお前なぁ」
陣平に抱きかかえられリビングのソファに横になると、彼はエアコンをつけ、部屋を涼しくしてくれた。もう冷房の時期かぁ、前まで暖房使っていたはずなのに時間の流れは早いものである。
次いで冷蔵庫の中から常に常備しているポカ○スエットを取り出すと、キャップを軽く外してからそれを私に渡す。
「こういうのは自分で飲まないといけないらしいからな。飲めそうか?」
コクンと頷いて起き上がる。フラッと目眩がしたけれど、なんとかキャップを開けて飲めるだけ飲んだ。少しだけかなと思ったけれど大分と中身が減ったペットボトルを見て、『喉乾いてたんだ私』と自覚する。
「お前、水分補給ちゃんとしていたか?」
「もちろん。出先で買ったり、お店内で飲んだりしてたよ」
ただ、その結果がこれである。家に帰って来たからか、陣平がいるからか、ようやく落ち着くことが出来たが、その分身体の不調をまざまざと思い知らされていた。
体内に熱がこもっている感じがして、目を開けていようが閉じていようが眩暈は激しく、立って歩くのは困難。我ながらよくもまぁこの状態で歩いていたなぁって思う。
「まだ軽度だから自宅処置で済んだものの、下手したら救急車もんだったんだぞ?」
「えっこれで軽度なの……?」
結構辛いのに? ニュースとかでよく『熱中症には気をつけて!』ってやってはいたけれど、本当に危ない病気なんだなぁと自分がなってみて初めて認識する。
「ああ? 救急車呼んだほうが良かったか? それなら今からでも呼んでやるけど」
「すいません、勘弁してください」
陣平がいるし、私の症状が軽度というのならば無闇に呼ぶよりも必要な人に救急車を行き届かせるべきだ。
それにしてもなんでここまで悪化したのか。元々の体力が落ちていたとか? 今朝家出るときもそこまで体調が悪かったわけでも……あっ。
「もしかして寝不足だったのが悪かったかなぁ」
そういえば昨日残業をして終電で帰ったんだった。そこから晩御飯を食べて今日の支度をして寝たからよく考えたら寝不足ということになる。現に朝起きるとき少し辛かったし。
それを聞いた陣平は「は?」と低い声を出すと
「てめーは馬鹿か!?」
「あはは……ごめんなさい」
案の定怒られてしまった……。悪気はなかったんです、悪気は。
「これくらい問題ないかなぁ〜って思ってました。よくやることだったし」
「よくやるなよ!? 大体今日は急に気温が上がったんだからな?」
陣平曰く、暑い環境に体が慣れるには3日間必要だという。だからこそ急に暑くなった日は熱中症になりやすく、救急車もよく呼ばれるとかなんとか。こまめの水分補給に関しては褒められた行為ではあるものの、二日酔いや夜更かし等は厳禁だそうだ。
「詳しいね、陣平ちゃん……」
「職場で資料読まされたんだよ。対処法や応急処置も。
まさかここで役に立つとは思わなかったけどな」
「ごめんなさい」
これほどまでかとくらい嫌味たっぷりである。私も反省しているからこれ以上はどうかやめてほしい……という気持ちは悲しいかな、どうやら陣平に届くことはなさそうだ。
「大体テメェは危なっかしいんだよ! あの状態で一人で歩くとか攫われたり襲われたりしたらどうすんだ!!」
「……おっしゃる通りで」
あぁ、ダメだ。陣平ガチギレモードだ……。
私をソファーに寝転がせてくれてはいるが、私を見る顔が怖い。視線だけで殺されそうな威力がある。もちろんキュン的な意味ではなく、Dead的な意味で。
でも今回の件は私に問題があるので何も言えない。ただただシュンッと反省するしかないのだ。
「……ハァ」
陣平が一つため息を吐く。そして腕を伸ばして私の髪をわしゃっと撫でると
「頼むから自分の体調を大事にしろ。お前は自分のことを蔑ろにする傾向があるから心配なんだよ」
スッと視線を合わせると、彼はさっきの険しい表情はどこへやら、不安そうな顔を浮かべていた。
「陣平……」
本当に心配してくれているのだろう。それがヒシヒシと感じられて、コクンと頷く。そう思ってくれているのが嬉しいなんて言ったら怒られそうだから絶対に言わないけれど。
「あと今日みたいにヤバいと思ったら友人と解散する前に俺に連絡しろ。迎えに行くから」
「うんう……え?」
流れで頷きかけたけれど、それは流石に無理なのでは?
だって貴方警察官ですよね? 仕事ありますよね? 大変そうじゃないですかいつも。
そんな私の心境を知ってか知らずか陣平は「いや……」と続ける。なんか嫌な予感がするのはどうか気のせいであってほしい。
「そうだな、もういっそのことこれから夜帰るときは連絡しろ。そっちの方が安心出来る」
「いやいやいやいや!?」
「俺が事件対応で動けねえ時は……チッ仕方ねぇ、萩原に頼めばいいだろ」
「よくないでしょ絶対に! うっ」
勢いよく起き上がってしまった私に目眩が襲う。そうだった、この人の衝撃的発言で忘れかけていたけれど今の私は本調子じゃなかったんだった。
「おい、ちゃんと横になっとけよ。何してんだ」
「誰のせいだと思ってるの……」
今度は私がため息を吐く番である。冷静に指摘されたけれどとんでも発言をしているのは貴方ですよ陣平さん。
「で、でもそこまでしなくてもいいからね? 私いつもなら一人でちゃんと帰れるし……」
……ん? 待って、もしかしなくても私、大人扱いすらされてない? その言い方、まるで私が一人で帰れないやつだろと言われてる気がするのですが?
「だってお前そうでもしねぇといざという時すら連絡して来ねえだろうが」
「…………」
スーッと視線を逸らす。悔しいかな、これは否定出来ない。むしろ陣平の言うように多分『これくらいなら大丈夫〜』とかなんとか思って連絡しないだろう。今日も駅でタクシーをスルーしている前科があるわけだし。
「で、でもお仕事中なことには変わらないでしょ? だったらほら、その邪魔をするわけにも……」
「外回りって言って出れば問題ねぇだろ。さっきも言ったが俺がどうしても動けねえ時はハギに頼む……癪だけどな」
「それはそれで萩原さんに御迷惑なのでは?」
なんとなく、『じんペーちゃんからのお願いだし、君をエスコート出来るなら役得だなぁ』までは言いそうだけれど——なんならバチコーンとウインクまでしかねないが——迷惑であることには違いないと思いたい。
「なんでそこまで渋るんだよ。俺がそうしろって言ってんだ、変な遠慮とかする必要はねえだろ」
「そうかもしれないけれど……」
また不機嫌な顔に逆戻りした陣平がキッと睨んでくる。そうは言っても仕事に差し障りが出そうで怖いんですよ私は。
「分かった。じゃあお前にGPSつけて、既定の時間になったら迎えに行ってやるよ」
「それは勘弁してください!!」
GPSて、GPSて!! それ法律的にアウトじゃありませんでしたっけ!? 少なくともお巡りさんから出てきていいセリフではないよね?
「じゃあ連絡しろ。いいな? もし今後一度でも連絡しないことがあったら……」
「しますします! うん、ちゃんとしますからGPSだけは!!」
「ならいい」
ニヤッと笑って再度頭を乱暴に撫でてくる陣平。対して私の心境はというと。
(お、脅された……ひどい……こんなの『イエス』か『はい』しか選択肢ないよね? ああ、陣平の職場の方と萩原さんごめんなさい。あわよくば止めてくれると嬉しいんですが……無理ですかね……?)
ガックリと肩を落とすしかなかった。
「……ん?」
そういえば、なんで帰っている最中、私が歩いていた場所にピンポイントで来れたのだろう?
私の家へのアクセス方法は徒歩と車では少々違う。というのも住宅街なので徒歩で歩くような道は狭く、車を使う人は別ルートを使うことが多いのだ。
それに何故陣平は私が帰る時間を知っていたのだろう?
熱中症の影響でスマホは見れていなかったし、返信なんて出来っこなかった。だから私が何時に電車に乗ったかも、そもそも何時友人と解散したのかも彼は知らないはずだ。知る由もない。
そして極め付けはさっき出てきた『GPS』という言葉。
「いやぁ、たまたま……だよ、ね?」
そして数日後、『解散する』連絡を「まぁいいか〜」という軽い気持ちで怠った私は最寄り駅で陣平に待ち伏せされ、そのまま連行&お説教をされることになるなんて知らないったら知らない!!
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