自分のクラスメイトがイケメンだったことをすっかり忘れていた件について……【工業高校生の日常!】 - 2/2

「pn接合ってなにそれ……」
目の前にあるフライドポテトを一つ口に入れて、私は頭を抱えた。
今見ているのは電子回路の教科書——今回のテスト範囲の部分だ。電子回路という普通の学科では聞き馴染みのないその教科は、その名の通り回路を構成する理論などを学ぶためのもので、私たち工業生には必須の知識ではあるのだが……。
「あ?そのままだろ。p型半導体とn型半導体の接触面のことなんだから」
「……p型半導体とn型半導体ってなんでしたっけ?」
「はぁ……」
盛大に松田くんからため息を吐かれてしまった。言いたいことは目を見たらわかる。どうせ『は?教科書読めばわかるだろ?』とかそういうことだろう。
そっと彼の隣に座っている萩原くんに視線を移すと、何故かニヤニヤしながら私たちを傍観していた。うん、こういう時の萩原くんは助けてくれないのを私はよく知っている。

────今日はテスト前日。明日の準備があるからと学校を追い出された私たちは、どうせなら一緒に勉強しよう!という話になり、ファミレスでテキストを開いていた。ドリンクバーとフライドポテトを注文し、時折教え合いながらコツコツと進め、ポテトが無くなったら追加で注文をし……を繰り返して今に至る。

「本当、君って実技だと陣平ちゃんに勝るのに筆記になるとボロボロだよねぇ」
「うっ……」
萩原くんが事実を述べる。やめて、それは心に来る。
「っておい萩!まるで俺が実技だとこいつに負けてるみたいな言い方すんなよ!?」
「いや、それは紛れなく事実に近いっしょ。この子って回路を組み立てるのも解体するのもミス一つなく綺麗に迅速にやっちゃうから先生たちや他の生徒からも一目置かれてるんだぜ?」
「あはは……」
正直、自分で言うのもなんだけれど、萩原くんの言うことは正しい……一目置かれているのは知らないが。
元々そういったことに向いていたのか、組み立てや解体が楽しくて仕方がなかった。実習になると教わった通りに回路を完成させてちゃんと動作するかチェックをした後、先生に確認を取ってもらうのだが、それでNGを受けたことは数えるほどしかなく、また周囲の人たちは完成には程遠い状況だった——なんてことがかなりの頻度であるのだ。
ちなみにこれが原因で松田くんと萩原くんと仲良くなっていたりもする。解体魔と呼ばれるほどの器用さを持つ松田くんはどうやら私にスピードで負けたのが悔しかったのか一年の初めの実習の時に絡んできたのだ。今となっては笑い話なのだが、なんだかんだで対抗意識は燃やされているらしい。
そして、これは私の最大の弱点なのだが。私は感覚で回路を組んでいる。つまり『まぁ動けばいいよね!こうすれば動くんだし、うんうん』という、理論なんぞ知らん精神でそれらをやっているのだ。技術者としてどうなのそれ……って思わずにはいられないがそれが私だから仕方ないよね!
だから筆記問題になるとチンプンカンプンなのである。
逆に松田くんは座学の面でも優秀なのでこうやってテスト前に教えてもらっているのだが……。
「だからってこれはねぇだろ……教科書に載っているこの図を見れば何となく分かりそうなもんだろうが」
「うぐっ」
この通り、泣きそうになっていた。
キャリアってなに?携帯電話会社の話?正孔と自由電子って両方とも電子じゃないの?え、動けるのは自由電子だけで正孔と結合したら移動してそれが電気になる?なるほど分からん!
「あーだからな?」
そう言いながらも松田くんはノートに図を丁寧に描いて説明してくれる。初めはこうなっていて、次にこうなって……とその度に図を新たに描いてくれるため、私の脳内でも電気の流れる理論が順序良く整理されていく。
「……ってことだ。分かったか?」
「うん、すごい……理解出来た」
目から鱗とはこのことかもしれない。それほどまでに彼の教え方は上手で分かりやすかった。人に教える場合は人の三倍は理解していないと教えられない、なんてどこかで聞いたけれど、まさしく松田くんはそうなのかもしれない。
「ありがとう松田くん!」
「お、おう」
素直にお礼を告げると、彼はプイッと他所を向いてしまった。
どうかしたのかなと首を傾げると、ふふっと萩原くんが笑う。
「陣平ちゃん、君に教えるために必死で勉強してたんだから」
「おい、萩原!」
「え」
いやいや、そんなことないでしょ?
そう思ったが松田くんは反論することもなく、耳を真っ赤にさせていた。
「えっと松田くん……それ本当?」
「別にお前のためじゃねえよ。ただ偶然俺が前勉強していた部分だったってだけだ」
「そうなんだ、ありがとう」
……隣の萩原くんが未だに笑いを堪えているのは恐らくスルーした方がいいんだろうなぁ。

◇◇◇

「〜♪」
あれから松田くんや萩原くんに教わりながら電子回路の基礎を一通り叩き込んだ私は、知識が整理されてスッキリした感覚が嬉しくて鼻歌交じりにドリンクバーを取りに席を立った。
いつも飲んでいるソフトドリンクを溢さないようにコップに注ぎ、彼らの待っている席へと戻ろうと視線をそちらへ向けて────固まった。
「あっ……」
彼らを見る周囲の女性たち。その目は羨望であり憧れであり欲であった。
勇気を出して話しかけている女の子もいる。松田くんは興味なさげに素っ気無くしていて、萩原くんはにこやかに対応しつつも適当にあしらっていた。
────どうしよう。
近寄れない。足が子鹿のように震えて前へ進めない。
忘れていた。特殊な環境だからすっかり頭から抜け落ちていた。

松田くんも萩原くんも、彼らに負けず劣らず顔がイケメンだってことに────

◇◇◇

私の幼馴染である降谷零と諸伏景光は顔が良かった。学校内でも学校外でも、目の前を通るだけで二度見をしたり、じっと視線を逸らさなかったりする女性が絶えないほどだ。
別にそれは良かった。私にとっては容姿がどうあれ大事な幼馴染に変わりはなかったから。

しかし、そんなことも言ってられない出来事が私に起こり始めた。
初めは嫌がらせだった。突然鉛筆がなくなったり、下駄箱に画鋲や悪口を書かれた紙を入れられたり。でも隠された鉛筆は探せばすぐ見つかったし、画鋲や紙は捨てればよかったのであまり気にしていなかったのだ……いや、本当は傷ついたけれど見てみぬふりをした。

そしたら段々エスカレートしていき、とうとう物理的なものへと変化していったのだ。階段で突き落とされかけたり、体育の授業のときワザとボールを当ててきたり、掃除中にバケツの水をかけられたり。
それらをやられる度に
『零くんと景光くんに近寄らないで』
『邪魔なんだけど』
『ブスのくせに調子に乗らないで』
等々言われ続けた。
それでも私はゼロとヒロと関係を断つなんて嫌だったし、かといって二人に心配をかけたくなかったから頑張って耐えた。耐えて耐えて耐えまくって……。

その結果、精神が参ってしまった。

心と体は繋がっている、とはよく言ったものだ。
ある日、登校しようとして家から出ようとした途端、足が動かなくなった。不思議なものでどうしようにも何かに阻まれているかのように一歩も動けないのだ。挙句迎えに来てくれたゼロとヒロを見た途端ガタガタと身体が震えてしまう始末だった。
幸いにも両親は『行きたくなかったら行かなくてもいい』と言ってくれたので、私は情けない自分が悔しくて泣きながらも一週間学校を休むことになったのだ。

一週間経って、ゼロとヒロが朝迎えに来た。
「ごめん、なさい……」
休んだのにも関わらず、玄関から私の足は動かないし、体の震えは止まらなくて、わざわざ迎えに来てくれた二人に対してすごく申し訳なくて、とても情けなくって。
「わたし、もう、むりかもしれない……」
ボロボロと涙を流す。
どうすればいいのか分からなかった。二人と縁を切りたくない。でも彼女たちと会ったら次は何をされるか分からない。
どれもこれも嫌で嫌で。でも解決策なんて何にも浮かばなくて……。

「無理なんかじゃない」
「え……」
キッパリとゼロが言い切った。顔を上げると悔しそうな顔で私を見て、そのままギュッと抱きしめられる。
「ごめん、気づかなくて。君にばかり背負わせてしまって」
「ぜ、ろ?」
あまりに苦しそうなその声に私は目を瞬かせる。何故ゼロがそんなことを言うのか分からなかった。だって嫌がらせの件は知られていないはずなのに……。
「君が休んでいる間に『色々と』あってね。
学校はもう大丈夫。君の脅威になるものは何一つないよ」
そっと横から頭を撫でられる。そんな馬鹿な。ヒロの言うことを疑いたくはないけれど、脅威ならたくさんあったはず……。
「ああ、だから今日は登校してみないか?僕達と一緒に」
「もちろん、無理だと思ったら逃げていいからさ」
でもゼロやヒロがここまで言うのなら、大丈夫なのかな……?
そんな私の心の声が聞こえたかのように、二人は口を揃えて、優しげな、それでいて真っ直ぐな声で
「大丈夫だ」
「大丈夫だよ」
そう言ってくれたからか
「……うん、分かった」
ゼロが私を離すと、さっきまでの震えはどこかへ消えていて。
「じゃあ、行くか!」
両隣から繋がれる手が私を一週間ぶりに外へと連れ出してくれた────。

結果として、本当にそれからは驚くほど何もなかった。
虐めてきた女子たちは私から距離を取るようになっていて、目が合うと怯えたように逸らされてしまう。あの一週間のうちに何が起きたのか気になって私が誰に聞いても首を横に振られるだけで何も教えてくれなかったけれど、それを除いたらただただ平凡な日常だった。

でも、心に負った傷は治らないらしい。
それ以来私は女性が苦手になってしまったのだ。特に集団は見かけた瞬間尻尾巻いて逃げ出すレベルには。だから志望が工業高校だったのはある種渡りに船とも言える。
ゼロとヒロと定期的に会うのも近所だけにしていたし、どこにも出かけずお互いの家の行ったり来たりで済ませているのも中学時代のこの経験からだった。

だから、今のこの状況は私にとって非常にまずかった。
脳裏に当時のことがフラッシュバックされる。ここまでトラウマになっていたなんて自分でも驚くほどには。
動けない。身体が震えて何も出来ない。
どうしよう?どうすればいい?あの視線の中席に戻ったら私はまたあんな目に…………。

「おい」
背後から肩をぽんと叩かれる。
「まつ、だく……」
「大丈夫……じゃねぇな。動けねぇのか?」
コクリと頷く。次いで震える声で一番気になることを問う。
「女の子、たちは?」
「ああ?んなの萩に投げてきた。お前が一向に戻ってこねぇから様子見に来たんだが……」
そこまで言った松田くんがふと眉間にシワを寄せる。そして「なるほどな」と呟くと、私の手からグラスを取って、あろうことか注いだばかりのジュースを流した。次いで近くを通りかかった店員さんに何かを言い、そのグラスを手渡す。
「ちょっ……」
何故彼がこのような行動に出たのか分からなくて困惑する。
すると松田くんは私の手をガシッと掴んで
「先、店出るぞ」
「え」
有無を言わせぬ声色でそう言う。「でも」とか「お会計」とか文章になっていない単語を発している私の頭に松田くんは空いている手を乗せると優しげな笑みを浮かべ、
「大丈夫だ」
たった一言そう告げると、一瞬だけ萩原くんの方を向いた後、私の手を引いて力強く歩き出す。
何が大丈夫なのだろう。少なくとも今私が松田くんたちに迷惑をかけていることは事実なのに……。
ふと松田くんの顔を見て、ふと気がつく。
「……あ」
これ、どこかで見たことがある光景だ……。
『大丈夫だ』
『大丈夫だよ』
松田くんの行動があのとき私を連れ出してくれた場面に重なっていく。
────うん、大丈夫。
それだけなのに不思議と足に力が入る。私は繋がれた手をギュッと握り返して、松田くんの手で一足先にお店から出ることになった。

◇◇◇

「大丈夫!?」
お店から出てきた萩原くんが駆け寄ってくるなり持っていた荷物を下に落とすと、ギュッと勢いよく抱きついてくる。
私よりも大きな身体で、まるで包み込むように。
「え、え、萩原くん……っ?」
「よかった。遠目からでも分かるくらい顔真っ青だったから心配で……」
頭上から聞こえてくる声は本当に心配してくれていたのだろう。心の底からホッとしたようなものだった。
「う、ん。松田くんが連れ出してくれたから」
「流石にあのままってわけにもいかねぇだろ。つーか何抱きついてんだ萩、離れろ」
ペシっと軽快な音を響かせて松田くんが萩原くんの頭を叩く。
「ちょっと陣平ちゃん!?良いでしょこれくらい!!」
「ああ?よくねぇだろ。いいから離れろ」
「ひどいっ!あの女の子たちの相手を俺一人に任せた挙句、みんなの荷物もお会計も全部押し付けたくせに!
陣平ちゃんだってこの子の手を握ってただろ!?」
「手ェぐらい繋いでもいいだろうが」
「理不尽!」
やいやいと騒ぎながらも萩原くんは私を解放するつもりはなさそうだ。
────何だろう、あったかいなぁ。
すっぽりと彼の腕の中に収まりながら私は目を閉じる。さっきまで極度の緊張の中にいたからか、身体がふわふわする感覚がした。
それにしても、まさか二人以外から抱きつかれるなんて。
ゼロやヒロに抱きつかれることはあるけれど、彼らは幼い頃からの付き合いだ。
逆に言えばそれ以外の男性からこんなことされたことなんてないわけで、今すごい心臓がバクバク音を立てている。
きっと顔も真っ赤なんだろうなぁ。
お店から連れ出してくれた時の松田くんの手も大きくて安心したし、萩原くんからのハグも温かくてホッとするものだった。
幼馴染以外の友人に対してこんなこと感じるだなんて、何だかとても不思議だ。
────そっか、私にとって二人はそこまで特別な存在になっているのか。
付き合いの長さはあの二人に及ばないけれど、それでも事あるごとに助けてくれて、普段も一緒にワイワイ騒いで。

────あれ、私は二人に何かを返せているのだろうか?
ストーカーのことといい、今回のことといい、私は助けてもらってばかりだ。
「ん、どうしたの?」
ようやく離してくれた萩原くんが首を傾げる。
「えっ、と……私いつも助けてもらってばかりで。嬉しいしありがたいんだけれど、私は二人に何かしてあげられてるのかなって思って……」
……言ってから思ったんだけれど、これ相当面倒臭い女じゃない!?
「ほ、ほら!もらってばかりじゃ申し訳ないしね!?」
慌ててそう弁明してみる。そこ、弁明になってないって突っ込まないで!!
すると二人は顔を見合わせてふっと笑い合った。
「あのなぁ、前も言っただろ?」
「……ん?」
あれ?何か言われていたっけ?
キョトンとした顔で返すと、ダメだこりゃとばかりにため息を吐かれた。その割には萩原くんの顔は穏やかで、愛おしいものを見るような目をしている。
「君が大切だって言ったでしょ?それだけだから見返りなんて何にも求めてないんだよ俺ら」
「あー……」
あの時、先生からストーカーされていた時に言われた言葉を思い出す。確かにその時彼らはそう言ってくれた。
見返りもいらないと思うくらいにはそう思ってくれていたなんて、それは初耳だけれど。
「ま、一つだけ求めるとしたら」
「求めるとしたら?」
ニッと松田くんが悪ガキのように笑う。

「これからも俺らから離れんなってことだ」

彼のその笑顔は明るくて、どこか眩しかった────。

◇◇◇

「なんか君、いつもと違う匂いがするな?」
「えっそんなこと……って首筋に鼻をくっつけないでヒロ!!」
「うん、やっぱり別のやつの匂いがするよゼロ」
「ホォー?そんなに男と密着したのか?」
「あはは……今日はテスト勉強していたし、普段よりも長い間他の人と一緒にいたからかもしれない!!」
「それでこんなに匂いってつくものなのかな……?」
「どうだろうな、少なくとも密着していたのは確かだと思うんだが」
「(な、なんかバレたら萩原くんの命が危ない気がする……!!)」

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