「ねぇねぇ、これってなんなの?」
ある日の昼下がり。「疲れた〜」というナーディアの言葉から一息入れようと喫茶店に入った四人は、案内された席に座りメニューを開く。するとその中の一つ。コーヒーメーカーの絵を指して、ラピスが首を傾げたのだ。
「これはね、コーヒーって言うんだよ〜」
「こーひー?」
聞きなれない単語だったのだろう。ラピスは更に不思議そうな顔をする。
そんな彼女の顔が微笑ましく、ルーファスは頬を緩めて
「ふふ、コーヒー豆を挽いて作る飲み物だ。私もたまに淹れて飲んでいるよ」
と、コーヒー豆を知らない人にはよく分からないであろう説明をした。もちろんピンとこないラピスが困ったような顔を浮かべ言葉を紡ごうと口を開いた時、
「へえ、てっきりアンタは紅茶好きなのかと思っていたんだが」
驚いたようなスウィンの言葉にラピスがそういえばと黙り、うんうんとナーディアが頷く。
「確かに、たま〜にルーファスのところからコーヒーの匂いがするなぁとは思っていたけれど、ぶっちゃけ印象ないよねぇ」
「まぁ、元々は自分のために淹れていたわけではないからね」
そう言ってルーファスはどこか遠い目をする。その視線の先にいるであろう相手をなんとなく察したスウィンとナーディアはそんな彼を見ていることしか出来ない。
一方その空気について行けないラピスはキョロキョロと三人の顔を見て
「えっと、ルーファス、どうしてそんなに寂しそうなの?」
と、心配そうに聞く。その返事とばかりにルーファスは少し弱々しく微笑むと
「いや、何でもないよラピス。気にしないでくれ」
ポンっと彼女の頭に手を乗せるのだった。
「あの、もしよかったら試飲してみますか?」
その時、様子を見ていたのだろう。店員が四人に声をかけた。彼女が持っている御盆には小さな紙コップが人数分載っており、それをラピスたちの前に配膳していく。
「ん〜、どこかで嗅いだ様な……?」
漂ってくる匂いをくんくんと嗅いで、ラピスが再度首を傾げる。嗅いだことはあるけれど、どこでとまでは思い出せない様だ。
「ではお言葉に甘えて頂こうか」
ルーファスがどこか嬉しそうに告げてコップに手を伸ばす。そして一口飲んで
「……ああ、美味しいものだ」
と切なげに微笑むのだった。
「そうなの? そんなに美味しいのなら私も飲む! ナーディアも飲むでしょ?」
「うっなーちゃんちょっとコーヒーは……」
キラキラの瞳で見つめられたナーディアはスッと視線を逸らす。
というのも、彼女はどうしてもコーヒーが苦手なのだ。組織の任務などで変装をしている間にコーヒーを飲まないといけない場面があった時も、すごく渋々飲んでいたことをスウィンは知っていた。何なら終わった後に「すーちゃん苦かったよおお」と泣きついてくるまでがワンセットだ。ナーディアもナーディアで、出来れば飲みたくないので必死に逃れようと言葉を紡ごうとして
「え、もしかしてナーディアは飲めないの? ルーファスは飲めるのに?」
そんな彼女の様子を見て純粋な反応をしたラピスに遮られてしまった。思わず「うっ」と声を漏らすナーディア。
ラピスに対してはどこかお姉さん風を吹かせたいのだろうが、それが今回どうも彼女の足枷になってしまったようだ。
そこにトドメとばかりに。
「ほう、それは意外だ。スウィン君のコーヒーを淹れる腕はなかなかのものなのだが、それをナーディア君は味わったことがないと」
ルーファスがズバリ、そんなことを突っ込んだ。
「す、すーちゃんコーヒー淹れるの上手だったの!?」
思わず詰め寄るナーディア。まさか自分が知らないスウィンの特技があるなんて。しかもそれをルーファスから知らされることになるなんて。
彼女からしたらこの上ない不覚であり、衝撃であり、ショックである。
「い、いや、以前そういう機会があって淹れてみたらそこそこに美味かったみたいで、ルーファスから絶賛されただけだぞ?」
「しかもルーファスが私より先にそれを味わうなんて!!」
もはや何に怒っているのか分からない状況である。そもそも味わうと言ってはいるが、ナーディアはコーヒーが飲めないはずだ。
落ち着いてくれという意味も込めて、スウィンはやれやれと首を振る。
「そんなこと言ったってお前コーヒーなんて飲め……」
「これくらいは飲める!」
「おいおい……」
どうやら駄目なようだ。もはやラピスに意地を張るためというよりもルーファスへの対抗心(とスウィンのコーヒーを飲みたい気持ち)でここまで来てしまったらしい。
ナーディアはそのままコップを手に取り、勢いのままコーヒーを飲んだ。そして顔を顰めながら
「ほら! ちゃんと飲めたでしょ?」
と言い張るのだった。その表情はどうしたって大丈夫には見えないがもはやスウィンに突っ込む気力など残ってはいない。
「ルーファスだって自分で淹れた方がいいだろ? 俺には味の違いは分からないが……」
今更何のフォローにもならないが、少しでも彼女の対抗心を減らしておこうと彼はルーファスに顔を向けて困った表情を浮かべる。それを受けたルーファスは「ふむ」と腕を組み
「まぁ、私は長年淹れているからね。仕えていた彼に淹れることが多かったからなるべく美味しくしたかったのもあって、気がついたら上達してしまっていただけだよ」
「……あんた、本当そういうところあるよな」
「うんうん。流石に反応に困る〜」
本日二度目ということもあって、スウィンとナーディアは優しげな彼の様子にそっとそのような言葉をかける。どんな思惑があったとはいえ、『なるべく美味しくしたかった』気持ちは本物なのだろう。だから彼はコーヒーを淹れるのが得意になり、美味しく出来上がるようになったに違いない。
——コーヒーをあまり嗜まないスウィンと、苦手なナーディアには味の違いはやっぱり分からないけれど。
そんな雰囲気の中、突然
「あああ!」
「ど、どうしたのラーちゃん!?」
ラピスが叫んで、三人は一斉に視線を向けた。
「だから私この匂い知ってるんだ!
これ、ルーファスが飲んでいる時に頂戴って言っても『君にはまだ早い』とか言って、私にくれなかったやつでしょ!!」
そして彼女の発言により、さっきまでのしんみりとした空気は一瞬で吹き飛ぶのだった。
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