掃除道具は野球をするために存在する - 2/2

「えーっと……なに、しているの?」
手に持ったバケツを慎重に置き、顔を上げた私からそんな言葉が漏れる。
現在時刻15時40分。三限にも渡る実習を終えた私たち生徒は作業服から着替えることなく掃除をするのがルールだった。今日も今日とて例外はなく、私と松田、そして萩原は担当箇所であるこの実習棟(実習に使う教室が並んでいる棟のことをこの学校では実習棟と呼んでいる)の二階部分廊下を清掃しているはず……なのだが。
(これはツッコむべきなのか否か……)
私がバケツの水を入れ替えて二人の元に戻ってくれば、目の前には掃除をしている光景はなく、代わりに雑巾をしっかりと右手に握って投げようとするポーズを取っている萩原研二と箒を振りかぶっている松田陣平、という如何にも『今から野球をします』といった光景が繰り広げられていたのだ。
「じんペーちゃん、行くよ!」
「おう、かかってきやがれ!」
「はぁ……」
(いや、楽しそうなのはいいことだけどね?)
思わず溜め息が漏れてしまったのは大目に見てほしい。なんせ、こちとらそこそこに重たい水入りバケツを運んできたのだ。私の性格上『真面目に掃除しろ』とは思わないし、どちらかといえば『まぁぼちぼちやるかぁ』っていうタイプなのでこの光景自体に苛立つこともない。むしろ楽しそうで何よりとまで思っている。ただ折角重たい思いをしてまで持ってきたこのバケツが無駄になってしまうのが少し癪なだけだ。
そしてそこそこ長い付き合いだからこそ、これを止めるのはかなり至難の業だということも知っている。まぁそもそも止める気があるかと聞かれると否な訳だが。
「あれ~、じんペーちゃん空振り~?」
「うるせぇ! 久々で感覚が掴めてねぇんだよ!」
萩原の手を離れた第一投は、松田が箒を振るより早く彼の横を過ぎ去っていき、少し離れた場所に落ちた。
それを拾いに行きながら、揶揄い混じりの萩原の言葉にムッとして言い返した松田は雑巾を勢いよく彼に投げる。
「おっと」
綺麗に萩原の手に収まったそれを見て、ニヤリと煽るように笑う松田。
「ほら、さっさと次投げろよ」
そんな挑発的な言葉にふふっと笑い
「次も空振りすんなよ?」
そう煽り返す萩原。
いつも通りの二人の会話に、楽しそうだなぁと私は笑みを浮かべた。なんだかんだこの二人の楽しそうなところを見るのは好きだ。
(さて、と)
ふと視線を背後に向ける。私一人ボーッと彼らを見ているのもいいが、一応今は掃除時間だ。少しばかりやったであろう痕跡を残しておかないと後々面倒なことになりかねない。
「ちょっとは掃き掃除でもしておこうかな」
そう呟くと私は近くの掃除道具箱に駆け寄り、箒を出し、掃き掃除をしようと彼らの元へ戻り床を見た時。
「おい!」
焦ったような声で名前を呼ばれ、
「へ?」
顔を上げた次の瞬間だった。
「うわっ!?」
白い物体が勢いよく顔にクリーンヒット⭐︎
雑巾が濡れていなかったのがかなり幸運だった。もし濡れていたら痛かっただろうし、臭いも相当なものだったに違いない。
「悪ぃ、大丈夫か?」
私の方に雑巾を飛ばしたであろう張本人が箒を下ろして心配そうに尋ねてくる。
「いやいや、そこまで心配そうな顔しないでも大丈夫だよ? 乾いた雑巾だし」
(濡れた雑巾だったら怒っていたけれど)
そんなことを心の中で思いながら雑巾を拾い、それを渡すべく萩原の元へ歩き出す。
「ごめんね~、じんペーちゃんがノーコンで」
「おい、誰がノーコンだ」
「打つ側にノーコンも何もないんじゃ……?」
あはは~と申し訳なさそうに笑いながら近づいてくる萩原と聞き捨てならないとばかりに声を上げる松田の言い合いに思わず突っ込む。
(でも野球が上手い人だったら雑巾を箒で打つときもコントロールが良かったりするのかな?)
ボールと雑巾では話が違いそうではあるが、あり得る話でもあるなぁとボンヤリ考えていると、不意に萩原の周りを視界が捉えた。しかも彼が進もうとしている進路の先にはさっき私が持ってきたたっぷり水が入っているバケツが――
「あっちょっと、萩原くんストップ……」
「え? って、わわっ!?」

ガタッ
盛大な音と共にバケツが蹴られ、

バタンっ
綺麗に躓いた萩原が転び、

バシャーン!!
中に入っていた水が綺麗にぶち撒けられ、

「…………」
「………………」
「……………………」

――言うまでもなく、大惨事が起きてしまった。

「おい、どーすんだこれ」
ボソリと松田が呟く。
「どうするも何も……」
(このままには、出来ないよねぇ)
目の前にはずぶ濡れの萩原、と廊下。
萩原に関してはどうせ掃除後に制服に着替えるからまだいいとしても、廊下はこのままというわけにはいかない。
「萩原くん、大丈夫?」
とりあえず怪我が無いかと彼に近づき、手を差し出す。
「あはは……うん、なんとか?」
手が重なったのを確認して、慎重に起こすとにへらと萩原が笑った。その顔に長い髪がくっついていて、そこから水が滴っていて、心なしかドキッとする。
(ああ、これが水も滴るなんとか、ってやつかぁ)
「もう……」
なんだか揶揄う気も起きなくて、私はハンカチを取り出すと萩原の顔を拭いた。
萩原にしては珍しく長袖長ズボンのまま作業服を着ていたので体の方は濡れていても着替えればノー問題だが、流石に顔はこのままというわけにはいかない。
「後で顔、洗いなよ?」
そう言いながらハンカチを手渡すと、「ありがと」と微笑んでそれを受け取ってくれた。
「ってお前なにドジってんだよ」
ペシっと松田が萩原の頭を叩く。
「……ぷっ」
その光景を見て、私の口から笑みが溢れる。
「あははっ! 何してんだろ、私たち」
掃除をしていたはずなのに、気がつけば野球が始まっていて、最終的には廊下も萩原もびしょびしょになって。
「本当、馬鹿みたい……っ」
なんだかそれが面白くて、楽しくて、笑いが止まらない。
「そうだな、萩原なんて全身びしょ濡れだし」
ククッと松田も肩を震わせる。
「ちょっとちょっと二人とも!? 俺大変なことになってるのに酷くない?」
そう言う萩原も笑顔で。

暫く私たちはその場で笑い合うのだった。

なお、その後駆けつけた先生から、言い訳虚しくこってり絞られたのはまた別の話である――

*今後も巻き込まれることになる主人公
二人が楽しそうで何より。女性があまりに少ない環境だけれどそこまで不便は感じていない。
中学まで幼馴染たちの影響で女子生徒から疎まれたり虐められていた経験があるので女子が苦手な傾向あり。
パソコンも好きだし、機械いじりも好きだから工業高校に来たけれど、幼馴染たちを説得するのに一番苦労した。
実はストーカーされていたり、男子生徒からそういう目で見られていたりするけれど、被害が出る前に爆処が睨みを効かせていたら美味しい(著者が)

*濡れ鼠になった男子生徒
まさかバケツがあったなんて……でもハンカチで顔を拭いてもらえたのは役得だった。
袖捲ってなくてよかった〜と思いつつも濡れた作業服を家に持って帰るのに少しばかり苦労することに。
夢主が楽しそうに笑ってくれて嬉しい。
セ○ム1号

*想い人に雑巾をクリーンヒットさせた男子生徒
綺麗に飛んだなぁ〜と思ったらまさかの顔面ヒットさせてしまって内心ヒヤヒヤした。嫌われたらどうしようと焦ったがそんなことはなくてホッとした。むしろ笑ってくれて嬉しい。
手を差し出されてハンカチで顔を拭いてもらった萩原に対して「何ドジってんだ」と叩いたが、言葉裏には嫉妬も含まれていた。
セコ○2号

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